こんにちは。神戸や大阪など関西を中心に活動している経営コンサルタントの荻田(オギタ)です。
さて、前回に引き続き、私の人生を変えた本「ザ・シークレット」について書いていきます。
この本によって私がどのように変わったかを書く前に、まず私がどんな人間だったのかをお伝えする必要があります。
私は子供の頃はとても泣き虫で、ちょっと責められたり怒られたり、はたまたゲームで負けただけでも泣いていました。
周りはウンザリしてましたねー。
泣くのは「悔しい」とか「自分が情けない」とかそういった感情が高ぶるからなんです。
これはプライドが非常に高いからなんですよね。
プライドが高すぎて責められたり負けたりすることが許せない。だから辛くて泣いてしまう。
そしてプライドが高いので自分を否定することができず、結果として相手を否定(少しキライになったり、責めたり)してました。
さすがに中学くらいからは泣くことは減っていきましたが、心の中は変わってませんでしたね。
ただ泣かなくなっただけ。
依然としてプライドは高く、相手を否定するクセがついていました。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、社会人になってからも基本は同じです。
とにかく思考の中心には「プライド」が君臨し、私を支配していました。
私は「プライド」を否定するつもりは全くないのですが、何事もバランスが大事なんですよね。
プライドが高すぎても低すぎても弊害があります。
適度なプライドを保つことがベストなのですが、それが難しいんですよねー。
プライドが高いと以下のような行動をとるようになります。
- 攻撃されるとすぐに応戦する(プライドを守るための過剰な自己防衛反応)
- 人の「自分より劣っている所」に注目する(プライドを維持するのに必要な優越感の補充)
- 自分より優れた人に対して嫉妬心を抱き、あら探しをする(プライドを損なわせる劣等感の排除)
- 実は人の目を非常に気にしている(馬鹿にされるのが怖く、承認欲求が高い。つまり常に人との比較で自分を測っている。)
ちょっと書いていて恥ずかしくなってきましたが、ええ、確かにこんな感じでした。
「自分にも当てはまる…」
とイヤになった方もいらっしゃるかもしれませんが、大丈夫ですよ。
皆さん大なり小なり当てはまりますからね。
さて、そんなイヤなヤツ(言い過ぎ?)だった私は当然の報いとしてか、よくトラブルに巻き込まれました。
中には私が悪くないことも多々あったのですが、でもとにかくトラブルが私めがけてやってくる。
み、見える!両手を挙げて「ワー」と言いながらこちらに向かってくる「トラブル」が見える!好かれてる!ヤツに好かれてるっ!
それとトラブルが起こるだけでなく、なんだか常に心の片隅に「不安」を抱えている感じがしました。
人間関係や将来やお金に関する不安など分かりやすいものもあるのですが、そうではない「漠然とした不安」の存在を感じるんですよね。それが常に私につきまとっている。
そんな状態の私はなんとかこの状況を脱するべく、ネットで解決策を探し続けたのです。
そして私が解決策として選んだのが
「なんでも完璧にこなし、ミスをしない。」
という方法でした。
(この方法では解決しないということを後に学ぶことになります。)
だってトラブルってミスから生じるんですよね?
だったらミスをなくせばいい。単純な話です。
私は仕事を完璧にこなしてミスをなくすために、以下の課題に取り組みました。
- 知識・理論武装
- 業務効率化や仕事の進め方のルールを作りと徹底
- 相手とのやりとりの証拠を残す
これらの課題は当たり前のことではあるのですが、大企業ならいざ知らず、中小企業レベルで徹底するのはなかなか難しいものです。
まず仕事をする上でその職務の専門的な知識は必要ですし、その知識が不足していることでトラブルが起こることは多いですよね。
何かあった際の理論武装も「隠し持った武器」感覚で用意していました。
「もしもこう言われたら、こうやって言い返そう」といった具合です。
次の業務効率化やルール作りは、工程を簡略化したりルールに従うことでケアレスミスをなくす手法ですね。
私はこの課題に取り組んだことで、今でも「業務効率化」はとても好きです。
まあ性分として「ナマケモノ」だから「できるだけ楽をしたい」というのが本当の目的なんですけどねー。
そして相手とのやりとりの証拠を残すのも、やはり重要ですね。
「言った、言わない」のトラブルは私だけでなく誰でも経験したり見聞きしたりしていると思います。
そのためにできるだけ電話での確認でなくメールでのやりとりにしたり、打ち合わせ時に同意を得る必要がある場合は同意書にサインしてもらったり、ベタな方法は色々と試してみました。
このおかげで私の仕事のクオリティは以前に比べてだいぶマシにはなったと思います。
もちろん完璧とはほど遠く勉強不足や中途半端な部分も多々ありましたが、それでも意識的に上記の課題に取り組むことでケアレスミスも減り、クライアントに提供できるサービスの質も上がりました。
私が「ザ・シークレット」を購入して初めて読んだのも、この頃です。
しかしこの頃の私の課題は先ほど列挙したものなので、「ザ・シークレット」に書かれている「引き寄せの法則」という目に見えないものに依存する考え方を受け入れることができなかったんですね。
もっと目に見える形で改善しないとトラブルをなくすことはできないんだ、と。
ではトラブルがなくなったのか?
答えはノーです。
もちろんケアレスミスによるトラブルは減りました。
しかし劇的に減ったわけではなく、私の思い描いていた「トラブルのない生活」は得られませんでした。
そして私の中に常に存在する不安も全く消えません。
むしろ「ミスをしたらダメだ」と考えすぎるあまり、不安は増大したとさえ言えます。
これらの課題をクリアするために行った努力を、私は無駄だとは思いません。
今の仕事にも生き方にも非常に役に立っています。
しかし私が望む「トラブルや不安のない状態」にはなれませんでした。
それともう一つ気づいたのは「完璧にこなし、ミスをしない」という課題に着目しすぎると「目的と手段」の区別が付かなくなり、おかしな方向へと進みがちです。
そもそも「完璧にこなし、ミスをしない」のはクライアントやお客様に「良いモノやサービスを提供する」という「目的」を達成するための「手段」に過ぎないんですよね。
しかし元々の出発点が「責められない、怒られない」という目的なので、この時点で目的が変わっています。
さらにこの課題をメインに取り組んでいくうちに本来は「手段」である「知識を得たり業務効率化を図る」ことが「目的」に変わってしまいます。
知識を得ること、業務効率化を図ることがゴールになってしまう。
さらに言えば、完璧にこなすことなど不可能です。ミスをしないなど不可能です。
人間がやることに完璧はありません。それを求めている時点で間違った目標設定だったと言えます。
(もちろん完璧を求めて努力することは必要ですし意味があります。常に「改善」をし続けることは大切ですからね。)
私は「目に見える」形で問題を解決しようとしました。
数年間取り組みましたが、結局なんら改善されることはありませんでした。
そんな時にふと本棚を見ると、数年前に購入した「ザ・シークレット」があったのです。
私はまさに「引き寄せられる」ように本を手に取り、あれほどバカにした本を再度読み始めたのです。
(つづく)